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    <title>MIEKO&#13;MATSUMOTO&#13;PHOTOGRAPHY</title>
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      <title>猫なんか嫌いだ</title>
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      <pubDate>Mon, 19 Aug 2013 23:28:26 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/entori/2013/8/19_maonanka_xianida_files/_MG_4798.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/Media/object000_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:183px; height:137px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　思えば「もう二度と猫は飼わない。あいつらには絶対に近づかない」と固く誓ったのに、いつの間にか１ヶ月以上も猫のいる家に居候してしまった。猫のいるところになんか、こんなに長くいるつもりなどなかったのに。結局、「二度と」なんていう決意はアテにならないのだ。まあ、居候先の猫であって、私の猫なわけじゃないけどさ。&lt;br/&gt;　でも私の猫だろうが、ひとの猫だろうが、猫は皆、猫なのだった。外見よりも鳴き声よりも、猫の生あたたかい感触は、どいつもこいつも共通していて、 猫の事はできれば思い出したくなかったから、７年間、なるべく触らないようにしていたんだけど。しかし一度触ってしまったら、もう遅い。しばらく忘れていた、この世における猫の全ての事を、私は一気に思い出してしまった。&lt;br/&gt;　全く、うかつだった。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　猫がいる家は大阪の下町にある。そこは猫もたくさんいたが、人間もたくさんいる家で、いわゆるシェアハウスというところだった。大阪で展覧会をしていたので、その間、居候させてもらった。&lt;br/&gt;　本当は住之江区というところに住むはずだったのに、ギャラリーのディレクターのこたろうくんの気まぐれで、大阪入りの2日前に急遽、別の区にあるこの家に厄介になることになったのだった。その時はもう展示準備でテンパっていたので、とりあえず住まわせてもらえば、もうどこだって、なんだっていいや、という感じで、特には詳しく聞かずに大阪のその家へと向かったのだった。&lt;br/&gt;　着いてみたら猫がたくさんいる家だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　居候先の猫は、親子５匹で飼い主以外にはそんなには懐いていない。でも他のシェアハウスの住人たちはみんな猫を飼った事がなくて、飼うのが夢だったらしい。みんな猫が可愛くて仕方がないのだろう。代わる代わる猫たちをかまっては、とても大切にしているようだった。&lt;br/&gt;　私は猫が絶えない家に生まれた。生まれたときから猫は「いて当たり前」の存在だったから、猫をペットだとか、かわいいとか、ましてや、人間を癒してくれる存在、などとは思ったことはない。&lt;br/&gt;　しいて言うなら猫は、私と姿形は違うけれど、人間の兄弟のようなものだった。いつも一緒に寝て、似たような物を食べ、互いの考えている事がだいたい分る、そういう相手。私が遠出する時には背中に乗って出かけるのを邪魔したり、地震が来る直前には、体を震わせて私に教えてくれたりする。私が可愛がっていた仔雀を、隙をみて食べちゃって平気でシラを切るような嫌なやつでもある。&lt;br/&gt;　子供の頃から猫は、人間の他人よりも、ずっと近しい存在だった。可愛いとか、好きだ、とはちょっと違う。近すぎてよく分かってしまう、そして時々もてあます。でも隣にお互いがいない毎日なんて考えられない。兄弟、という感覚が一番近かった。&lt;br/&gt;　自分が成長してからもその感覚が消えることはなく、猫と一緒にいると「なぜ私たちは同じ生き物ではないのだろうか？」と思うことがよくあった。私はそういうふうに、ずっと猫と一緒に育ってきたのだ。&lt;br/&gt;　だけど、やっぱり猫と私とは違う生き物だったから、どいつもこいつも私より早く死んでゆく。しかもどの猫も、必ず私の前から姿を消して。子供の頃から一番長くいっしょにいた猫がいなくなった時に、私はもうそれに耐えられなくなって、二度と猫を飼うまい、と思った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　居候先の母猫はたぶん子供を守るのに必死なんだろうと思うが、特に新参者の私をいつも警戒しているのがよく分かる。ふん、そうですか、こっちだってあんたなんか好きじゃないよ。あんたは私の兄弟じゃないしね。と腹の中でいつも思う。でも猫の親子が近づいてくると、うっかり手を伸ばしてしまう。私の猫じゃないから、可愛いと思ってるわけじゃない。理屈じゃないのだ。これは反射だ。&lt;br/&gt;　こいつらは私の兄弟じゃない。私の兄弟じゃないけど、私の兄弟だったやつらと、私よりはよく似ているし、触ればそれが本当によく分かるのだっだ。&lt;br/&gt;　反射は愛じゃないけど、愛にすごく似ている、と思う。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　なぜ猫に近づきたくなかったのか、それは本当は何よりも猫が好きだからだ。でも猫は失った時に替えがきかない。それを身に染みて知っているからこそ、もう近づきたくなかったのだ。&lt;br/&gt;　しかし期せずして、かりそめではあるが猫がいる生活に戻って、隣に猫がいても平気になっていた自分に気づいた。そして、それとほぼ同時に、知らなかった大阪の町や、大阪の人々に、いつのまにか馴染んでいることにも。&lt;br/&gt;　いつも過ぎ去ってみてから分かる事だけど、自分で決めて選びとったことよりも、いつの間にか得ていたもののほうが、本当に欲しかったものだったり、したかったことだったりするような気がする。&lt;br/&gt;　今回の大阪滞在はそういう事の連続だった。自分の意志が介在しない、成り行きって、すごく大事だ。川が流れてゆくみたいに、成り行きに流されていつの間にか行き着いたそこに、とても満足していることに気づく。そういう感じ。&lt;br/&gt;　こたろうくんにもいわれた。「美枝子さん案外人見知りだから、ちょっと心配してたけど、あのうちにだいぶ馴染んでましたね。」&lt;br/&gt;　それはきっと、猫が５匹もいたからだと思う。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　馴染むと厄介なのは、離れる時に淋しいことだ。でもそれは、どこへ行っても誰といても同じだ。その淋しさが人生の中で無くなる事はない。だからこそ馴染めた時間帯は、私にとってすごく大事な思い出になるだろう。&lt;br/&gt;　猫のことも同じだ。私の猫が死んだ時、悲しくて腹が立って胸苦しくて、それはそれは厄介だったけれど、いつのまにか、そんなことはどうでもよくなっていた事に気づいた。もう、あんたも大丈夫なんじゃないの、とよその猫が教えてくれたのだ。 いまは猫がいた時間が、ただ懐かしい。&lt;br/&gt;　だから、そう遠くないうちに、また猫と暮らすハメになるような気がする。&lt;br/&gt;なんとなく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;</description>
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      <title>そのやり方なら、知っている。</title>
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      <pubDate>Tue, 22 Jan 2013 20:58:12 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/entori/2013/1/22_sonoyari_fangnarazhitteiru_files/IMG_9002_shimi.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/Media/object010_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:183px; height:137px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;祖父が死んだ日、ひたすら死んだ祖父の写真を撮った。&lt;br/&gt;　死んだ直後から火葬場で焼くまでの数日間、昼夜絶えずそばにいて祖父の亡がらを撮りまくっていたので、いいかげんにやめなさいと誰かに怒られたりもしたが、あまり気にもせず写真を撮っていた。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　祖父が死ぬ直前のラスト一ヶ月くらいは、どうしても写真が撮れなかった。看病しに行く時、必ずカメラを持っていき、１０分でも調子がいい時間帯があれば写真を撮ってあげようと思うのだが、末期の癌でやせ細り、笑わなくなってしまった人間に向かってカメラを向けることは、とてもひどい事のような気がして、できなかったのだ。&lt;br/&gt;　すでに１００歳だった祖父は病院で治療できる事もほとんどなかったので、自宅療養していた。そして私は暇さえあれば看病のために祖父の家に行っていた。他の孫に比べれば私は時間に余裕のある身だし、何より私は極度のグランドファザー・コンプレックスだったからである。一緒に暮らしたことはなかったが、私にとっての祖父は、はっきり言うと親兄弟よりも好きな人だったのかもしれない。彼が生きている間は、少しでもそばにいたかったのだ。　&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　祖父の容態が急変したのは、たまたま私が一人で看病しているときだった。私の水の飲ませ方があまり上手くなかったので、祖父は咽せたりしていたのだが、それが弱った体に響いたのだろうか、そのうち呼吸困難になって、私の目の前で死んでしまった。後になって母や叔母たちが「もういつ死んでもおかしくなかったんだから、美枝ちゃんのせいじゃないわよ」と慰めてくれたけれど、もし、別の人に上手に水を飲ませてもらっていたら、祖父はあと３日くらいは生きていたかもしれないし、もしかしたらもっと寿命が延びたかもしれない。&lt;br/&gt;　あーあ。永遠に私のミステイク、と今でも思う。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　明らかに死んでいるのだが、病院の指示で、救急車を呼んだ。あとで知ったが、病院ではなく自宅で死んだとなると行政上いろいろと面倒らしい。だから必ず救急車を呼び、病院で生死を判断するのがセオリーなのだ。社会というのは実にアホらしい。畳の上で救急隊員が死んでいる人に心臓マッサージをするのを、これがほんとうの茶番だと思いながら、眺めていた。&lt;br/&gt;　数時間後、死んだ祖父を病院から家へと連れて帰ってきて、私はカメラを持ってきていることを思い出した。それでそこから先の数日間はずっと写真を撮っていた。生きている時はかわいそうで撮れなかったのに、死んでしまった祖父を撮るのに、なんの抵抗もなかった。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　葬式が終わって一段落し、あがってきた写真を見て、しかし、がっくりきた。死んだおじいさんの写真なんかおじいさんじゃない、ただのモノだ。これ、どうするんだ、お前こんな写真を撮って一体何がしたいんだ、と思ったら、いつでも写真を撮りたがる自分というものに心底うんざりした。写真はひとまとめにして押し入れに投げ込み、この冬になるまで２年以上、その包みを開けることはなかった。&lt;br/&gt;　そうこうするうちに、あの３月１１日がやってきた。水戸の街中はめちゃくちゃになって、避難所で知らない人たちと一夜を過ごした。あの夜、一緒に被災したひとみちゃんだけが頼りで、家族に会えない不安な時間を二人で耐えた。その後もしばらくは本当に大変だったけど、そんな日々の中で唯一良かったな、と思えたのは「おじいさんが早く死んで良かった、こんな大変な日々をおじいさんに過ごさせることなんかできなかったな」ということだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　祖父の葬式の日のことは、よく憶えている。朝からめそめそしていたら父親に叱られたからだ。祖父は１００歳まで長生きしたのだから大往生で幸せなことなのだ、いつまでも泣くのはみっともないからやめなさい、と言う。&lt;br/&gt;　なに言ってんだ、この人は、と思った。１０歳だろうが５０歳だろうが、１００歳だろうが、私の好きな人がいなければ私は悲しいのだ。&lt;br/&gt;　それに、そんなことは誰にも指図されたくない。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　ひさびさに写真の包みを開けてみて、そんなことをつらつらと思い出しだ。&lt;br/&gt;　なぜ写真を撮るのか？ただ憶えていたいからだ。愛していることは、人でもムードでも、なんでも憶えていたい。それでいて「憶えている」というのは、憶えている方も憶えられている方も、わりあい大変なことなのだ。&lt;br/&gt;　でもいつかはきっと全部忘れてしまう。それだけの事だ。&lt;br/&gt;　憶えていることと忘れてしまうことを繰り返す、全ての写真はその間にある。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>時空を歪ませろ</title>
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      <pubDate>Tue, 23 Oct 2012 20:53:35 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/entori/2012/10/23_shi_kongwo_waimasero_files/yugure_007.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/Media/object011_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:183px; height:137px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;この前の七月に宮古島へ行った時、レンタカーを借りた。レンタカー屋のおじさんが、私と私の免許証をしげしげと見て、一呼吸置いてから「えーっと、平成４９年生まれってこと？」と言った。まだ来てないだろ、平成４９年なんか！！おじさん大丈夫かよ？！と心の中で私は叫んだが、努めて静かに「私は昭和４９年生まれですよ、今年はまだ平成２４年じゃないですか。」と答えた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　どうも私は実年齢より若く見えるらしい。おじさんは免許証の生年月日と本人とのギャップに軽くパニックになったようだった。これは決して自慢などではない。私はこどもの頃から、例えば小学６年生なのに小学生１年生に間違われたりして、年若く見られるというのはなんだか不当に馬鹿にされているみたいで本当に嫌だったものだ。今だって年相応に見られないことで得することなど、そんなにないし、むしろ仕事では損をする事の方が多い。それに結局、最終的に実年齢を言ってドン引きされるのは私なのだ。私は何も騙していないのに、勝手に間違えられた挙げ句に、勝手にドン引きされる。こんな理不尽なことはない。&lt;br/&gt;　みんなに「秘訣は？」と聞かれる。確実に遺伝だから、さしたる秘訣はない。死んだ私の祖父は百歳まで生きたけれど、９５歳くらいまではどう見ても１５歳以上はサバを読めた。脳をスキャンしても５０代並みと言われていた。&lt;br/&gt;　でも最後の４、５年であっという間に年相応になり、急によぼよぼになって、あっという間に癌が廻って死んでしまった。かわいそうだった。時計をギュッと早回ししたみたいに老いていくさまは、今まで若さをズルしていた分のツケというものを、無理矢理に払わされてるんじゃないか、とさえ思えた。&lt;br/&gt;（そうはいっても９５年も人よりも若く楽しく長生きしたのだから、５年くらいならマシなような気もするが…）&lt;br/&gt;　私もあんなふうに一気にツケが回って来るのかなあ、と思うと、ちょっとだけ怖くなる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　遺伝以外では、秘訣というほどではないけれど、サラリーマンをやめてフリーランス・フォトグラファーになってからは、生きていく上で、自分が嫌だと思うこと、やりたくない事はなるべくやらないようにしている。何らかの組織に属していればなかなか難しいだろうが、フリーランスであれば、貧乏と引き換えにそういう生き方はできる。&lt;br/&gt;　一切合切、とまではいかなくても、自分が納得できることをできるだけ選んで行うことによって、それまでの人生で山のようにあったさまざまな不条理、あるいは不可解なことは格段に減った。果たしてこれが本当に正しい生き方なのかどうかは分らないけれど、もし私が人よりちょっと若く見えるとしたら、これが一つの要因かもしれない。思えば祖父も自分のやりたい事だけをやる人だった。祖父はサラリーマンだったが、世間にちっとも縛られていないところが、私は好きだったのだ。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　不条理で不可解なこととは、つまりこの「世間」にまつわることだと私は思っている。だが「世間」を引き受けない、というのは思ったよりもずっと怖いことでもある。私にとって不条理な事は減ったけれども、同時に世間とのズレはひどくなった。&lt;br/&gt;　この世間は、まっとうな社会人は「このように」生きるべき、という不文律に満ち満ちている。「このように」というのが、たいていステレオタイプなことなのだけれど。会社員の人生設計はこうあるべき、とか女性はこれをしてはいけない、とかいくつまでに身を固めないと、とかね。人間の生活は一律なんかじゃないのにさ。そして一律である事なんか、決して美しくはないのに。&lt;br/&gt;　他の国に行くと、いろんな人がいること、いろんな生活があることが、ちゃんと許されているなと感じる事が多いのだが、悲しいかな、日本は世間あっての生活なのだ。人生におけるバリエーションも少ない。世間並みから外れているフリーランサーは、世間様にはきっと「アリとキリギリス」のお話の、キリギリスを地で行くように見えていることだろう。 &lt;br/&gt;　世間並み以下というレッテルは私だって恐ろしいが、でも、そんな事に関わっていろんなことを無駄にする方がもっと怖い。とりわけ時間はあっという間に過ぎる。いつ時計を早回しされるのかも分らないのだから、私は本当にしたい事だけをしようと思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　この前、水戸のキワマリ荘に出入りしている若きフォトグラファー、仲田絵美ちゃんが「キワマリ荘って、時空が歪んでますよね。だから大好きなんです。」と言ってくれた。確かにキワマリ荘の住人は、私以外もみんな年齢不詳なうえに、世間並みからは、ほど遠いもんなあ。私だけじゃないと思えば、ちょっぴり勇気も湧く。&lt;br/&gt;　だから、おのれへの確認の意味も込めて、キマワリ荘の管理人・五嶋英門くんに「ツケが回って来るのは怖いけどさ、私は行けるところまでキリギリス上等で行くよ」と宣言したら、こう返された。&lt;br/&gt;　なに言ってんの、もう俺たち、既にツケ払い始めてるじゃん。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　そうだった、私たちだって、ちゃんともう払い始めてるんだった。だって、我々はいつも、自分の人生における宵越しの銭なんか持ってないもん。世間様に比べても、なかなか潔いじゃんか。何もズルなんかしてないのだ。&lt;br/&gt;　だから大手を振って、時空を歪ませてやる。ははは。</description>
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      <title>類は友を呼ぶ</title>
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      <pubDate>Wed, 17 Oct 2012 22:42:55 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/entori/2012/10/17_leiha_youwo_hubu_files/walk_16.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/Media/object012_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:183px; height:137px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　私、「芸の肥やし」という言葉が好きで、嫌なことも辛いことも、胸がときめくような素敵なことも、そして、へっ？というような珍妙なことが起こっても、それはなんでも私の「芸の肥やし」になるさ、と思うようにしている。芸というのは、写真のことか、生きることなのかは、よく分かんないんだけど。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　先日、東京から水戸へ友達が出張にやってきた。自分の仕事が早く済んだので、友達の仕事っぷりを見学しに行ってみた。ところが直前の電話では、もうすぐ全部終わるから一緒にランチしよう、ということだったのに、私が辿り着いたら、なんだかコンピュータのトラブルがあって、今日の仕事、全く終わらんよー、という感じになっていた。それから２時間くらいコンピュータと電話にかじりついて、友人はもちゃもちゃやっていたのだが、一向にラチがあかない。しかも友人が作業しなければいけない現場は、もう１件あるのだった。&lt;br/&gt;　この仕事をなんとかこの日のうちに終わらせるためには、①友達と、一緒に来た同僚の人とが、それぞれ二つの現場に分かれて作業を進める。②コンピュータのトラブルを直すために、別の取引先にお願いして、再インストール用のドライバーを友達が借りてくる。③当然、社用車１台で来ているので①と②を実行するために、同僚の人が社用車で次の現場へ行き、私が友達の運転手になる。ということになった。&lt;br/&gt;　そして交渉の末、別の取引先で、快く必要な物を貸してくれることになったのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　これ、かなり高くつくからね！！とかなんとかいいながら、友達を乗せて、私は車を走らせた。こんなことになるなんてねー、サラリーマンは辛いぜー（友達）、でもなんだかおかしいよねー、私が仕事のお手伝いをするなんてさ！楽しいよね！（わたし）とかいいながら、車は私の故郷をどんどん走ってゆく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　私の友達はみな、アーティストだろうが、サラリーマンだろうが、主婦だろうが、たいがい面白いけれど、この人との出会いも相当にヘンだった。友達は茅ヶ崎の人で、ルイ・コスタと大学時代の友人、潤君を足して２で割った感じの、なかなかカッコいいお兄さんである。ルイ・コスタに似てるぐらいだから、まあ、まともなサラリーマンには見えない。でも「課長だからそんなに簡単に仕事休めないのよ」と言うのが口癖で、それが本当に似つかわしくなくて、おかしい。&lt;br/&gt;　暇さえあれば旅に出ていて、また多趣味な人なのだが、その最たるものが、The ALFEE。大ファンであり、旅＝ The ALFEE という感じで、全国のコンサート会場を回っているらしい。そして３年前の水戸のコンサートに、彼はやっ&lt;br/&gt;てきた。彼が駅の近くの居酒屋に入るかどうか逡巡していたところを、たまたま通りかかった私の知人の喫茶店主に「ここよりもウチの喫茶店の隣の居酒屋のほうがおいしいですよ」と声をかけられて、のこのことやってきたそこに、私がいたのだった。こうして私たちは出会った。&lt;br/&gt;　声をかける方もかける方だが、知らない街で怪しい呼び込み（知人の風采も、当時かなり怪しいものであった。）に積極的について来る方も、全くどうかしてると思う。でも私はいい子だから、こういう、どうかしている人をフィルターにかけて見たりは決してしない（笑）。そして友達もまた、面白そうなことにすぐ首を突っ込んじゃう質なんだと思う。加えて、私が以前に The ALFEE の坂崎幸&lt;br/&gt;之助さんを撮影したこともあって、アルフィー話が弾み、すぐに仲良くなったのだ。それからというもの茅ヶ崎からしょっちゅう水戸まで遊びにきてくれたり、展覧会があれば東京でもどこでも見に来てくれる、いい友達だ。&lt;br/&gt;　でも、たったこれだけの接点で既に３年もいい友情が続いているのも、世の中ありそうでなかなかないことなのでは、と密かに思っている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　さて、運転ド下手で有名なドライバーのドライビングで目的地にたどり着き、目的のものを拝借し、とんぼ返りで現場に戻ってコンピュータのトラブルは終息、無事に友人の仕事は全て片付いたのだった。&lt;br/&gt;　今日はがんばって働いてくれたからね、といって友達は夕ご飯にステーキをおごってくれた。なんかサラリーマンだった頃を思い出してちょっと愉快だった。いわゆる「仕事」ってもんを久々にこなした気がした。たまにはこういうのもさ、いい芸の肥やしになるでしょ、と友達は笑っていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　私、きっとこの人に「芸の肥やし」の話をしたことはなかったと思うのだが、使う言葉、同じなんだなあ、さすが私たちは仲が良いだけのことはある。&lt;br/&gt;　東京へと向かって滑り出した友達の車に向かって手を振りながらそう思った。</description>
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      <title>好きなのだ</title>
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      <pubDate>Mon, 8 Oct 2012 22:23:38 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/entori/2012/10/8_haokinanoda_files/umaretayo_008.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://miekomatsumoto.com/MIEKO_MATSUMOTO_Photography/song_ben_mei_zhi_zinonoto/Media/object013_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:183px; height:137px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　私がヘミングウェイの「老人と海」を好きなのは、別に、海とかキューバだとか、漁だからとか、ハードボイルドだから、というわけではない。海もキューバも漁も大好きだけれど、それより何より、少年が老漁師のことを好きだからだ。マノーリンが漁師仲間であるサンチャゴのことを思いやって泣くところで、私はいつも涙ぐんでしまう。&lt;br/&gt;　私は「おじいさん」というものが好きなのだ。犬が好きとか、ハンサムが好きとか、赤ちゃんが好き、というように、私は「おじいさん」好きなのだ。&lt;br/&gt;　重度のグランドファーザー・コンプレックスであることも認めるが、世の中の「おじいさん」全般が好きなことは、確かだと思う。それはつまり、好きなもののかけらも愛してしまう、というようなことなのかもしれない。&lt;br/&gt;　だからツキから見放された老漁師・サンチャゴをまるで祖父のように慕うマノーリンに、自分を投影してしまうのだ。なんだ、結局、物語ではなくて、自分が好きなんじゃないですか、とも思うが。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　キューバで仲良くなった、革命軍の生き残りのホルヘも、英語が上手くてインテリジェントなタクシードライバー、フアンも、アル中で貧乏なのに、いつも私を午後のお茶に招待してくれるゴンザーロも、みんなみんな優しくて、そして生きることにいつも一生懸命で、私は大好きだった。&lt;br/&gt;　父がよく「お前、そんなに一人旅しているのに、何で旅先で恋人できないんだ」と嘆いているけれど、こんなおじいさんたちと遊んでばかりいるから、そういうヒマがないのだ。ということにしておく。&lt;br/&gt;　キューバだけじゃない。日本でも他の国でも、そこに住んでいるおじいさんたちの親切で、私はいつも長い旅を乗り切ってきた。見ず知らずの私を何日も泊めてご飯を食べさせてくれたチャンさんとか水田さんとか、漁に連れていってくれた船長さんとか、快く1,000キロのヒッチハイクを請け負ってくれたオルギーノとか、これまで出会った全てのおじいさんたちに感謝している。&lt;br/&gt;　おじいさんたちのほうでも、きっと私のことをかわいく思っていただろうと、思う。サンチャゴのように。人はたいした理由なんかなくても、自分のことを好いている人間のことを憎くは思わないものだ。&lt;br/&gt;　　　&lt;br/&gt;　このごろ大好きな人で、日本のプロダクト・デザインの重鎮の方がいる。すごい方なのに、とても気さくだ。時々仕事をご一緒させてもらうのだが、こうして先生（と呼んでいる）といろんなお話ができることが、自分にとって本当にラッキーなことだと思っている。&lt;br/&gt;　先日、かなり短い距離ではあるが、電車での移動をお供させてもらった。隣同士に座ってみて、初めて、先生の瞳の縁が青い、ということに気づいた。時々、日本人でもこういう青みがかった瞳を持つ人がいる。死んだ祖父がそうだった。&lt;br/&gt;　久々にそういう瞳を見た。ああ、先生の瞳、おじいさんと同じだ。&lt;br/&gt;　自分が好意を持っている人たちにおける共通点というのは、よくあることだ。思いがけず先生の中に「おじいさん」を見つけてしまった。ふいに祖父が生きていた時のことが思い出されて、先生が目的地で降りるまで、その瞳の縁の青さを、横からじっと盗み見しながら話し続けた。先生は少し不思議そうな顔をしていらした。　　&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;　ちょっと見つめすぎてしまったかもしれない、と反省している。　&lt;br/&gt;</description>
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